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「学びの態度」について改める第一歩として、拙いながら体験の「外化」に取り組んでいます。 基本的には講義の内容の説明ではなく、感想と気づきの列挙になりますが、HCD/UXDに関しては出足の遅れた出来の悪い生徒であることを自認しているので、記憶の誤りや誤解があればご指摘ください。

【UX SHIGA 第5回】 ─エスノグラフィとKA法

UX Shiga
【前回のリフレクション】
  • インタビューにおいて、「事象・活動を聞き出す」だけになったこと(=インプットの質)が、時系列に並んだ事象・活動ごとの「個人的な問題」を解消するという結果(=アウトプットの質)になってしまい、課題である「最悪の旅」のサービス全体の問題を定義できなかった。
  • インタビューの本来の目的は「ユーザーのゴールを聞き出すこと」であった。ゴールがはっきりしなければ、「なぜゴールに至らなかったか」という問いが立てられないので、サービスとしての改善案が出せなかった。
  • インタビューイーは必ずサービスの受け手側である」という思い込みで作業を進めたことも失敗の原因だった。インタビューの内容からステークホルダーの関係性を把握して「サービスの提供側と顧客側を正しく設定する」ことも、ユーザーのゴールを明らかにするためのプロセスとして必要だと思った。
  • 「木も見て、森も見る」という意識=「俯瞰で観る」ことで、多くの関係性や問題が見えてくる=問いが立てられるので、リフレーミングにつながる。


【宿題への取り組み】
幸い職場が「なんばパークス」の中にあり観光名所も近いことから、毎日昼休みの30分を調査に当てて、写真を撮る人を探すことにした。
 
なんばパークスの広場には、毎年この時期に巨大なクリスマスツリーが設置されるので、写真撮影する人が非常に多かった。
昼間は買い物に来たママ友や若年のカップルがガラケースマートフォンのカメラでツリーの前に同伴者を立たせて互いに記念撮影していた。行為の背景としてはやはり季節限定かつ、今年は西野カナがプロデュースした展示ということで、「記念にとりあえず撮っておこう」というのが行為の背景だと思われた。
一方夜間は男性の年配の方が一眼レフを使って、ライトアップされるツリーそのものを撮影しているのが目立っていた。細くカメラの設定やレンズを変えて同じアングルを何度も撮影していたことから、行為の背景としてはイルミネーションを撮影することで「カメラやレンズの性能を測っている」ように思われた。
 
観光客や買い物客の多いと思われる「道具屋筋」でも何度も往復してカメラを持っている人の後をついて回ったり、シャッター音に耳をすませて写真撮影する人を探した。たまたま連続して写真撮影する人を見かけた刃物屋と瀬戸物屋の付近で定点観測して、撮影する人を観察した。どちらも写真撮影していたのはアジア系の外国人観光客だったが、刃物屋については「日本刀や日本独自の刃物」をディスプレイ展示していたので「来日した記念に、いかにも日本らしいモノを撮影したい」という行為の背景があったように思うが、瀬戸物屋についてはその店特有の「ワレモノでありながらドン・キホーテのような雑多な展示」が面白いと思ったものの、撮影する人の行為の背景や暗黙のルールについては決定的なことが分からなかった。(ただ、店内が撮影禁止だったので、せめて外から撮影しておこうという動機があったかもしれない)
 
わかりやすい観光地として、「なんばグランド花月」の前でも定点観測して撮影する人を観察したが、「この場所に来た証明」ということで撮影する人は建物を撮影するので、上を見上げて撮影していると思われた。新喜劇の芸人の着ぐるみと並んで記念撮影する家族を撮影するのも、「この場所に来た証明」に加えて「ここでしか撮影できないシチュエーションや受けられないサービス」が行為の背景になると思われた。ただ、「新喜劇の芸人の着ぐるみと並んで記念撮影する"他人"」を撮影する観光客の行為の背景は今ひとつ理解できなかった。単独行動ゆえに着ぐるみと一緒に記念撮影できなかったことから、他人が写り込んでいてもいいので着ぐるみの写真を撮りたかったのだろうか。
 

 
【ワークショップ -KA法-】
チームの人数が少なく、ゼリーの課題で大失敗した際に同じチームなった方が多かったので、「今回こそ失敗しない」という意思統一ができていたと同時に、社会人や学生という立場を超えて対等な議論ができた。また、写真の課題も全員が持ち寄れたので、士気の高い状態で課題に入れたことも、チームビルディングとしてはうまくいったように思う。
 
今回のインプットとなるカードへの「心の声」と「価値」の記入は、個人の主観がインプットの質になる。同時にチームのメンバーにも「共感できる」文章を書くことが後の作業の精度と効率を上げる。「誰もが共感できる言語化」には文章力や語彙も必要だが、「一言でまとめるセンス」が必要だと感じた。(このあたりも自身にライティングの知識やテクニックがあっても「センスがない」と痛感した)
 
カードに記入する「価値」について考えたとき、「それってどういう価値なのか?」という自問自答が何度も繰り返された。
想像力に頼って漠然と答えを突き詰めても「甘さ」があったように思うので、カード中の事項をそれぞれ「出来事=事象」、「心の声=行為目標(撮影者のゴール)」と捉えて、そのゴールから得られる「価値=本質的要求」と構造化して考えればより精度の高い答えが出せたのではないか。
 
チームの中では「他人に~と思われたい」という価値が多かったが、各々言語化できているつもりでも、実際には分類しにくいことが多々あった。作業の効率や共感しやすさを考えると、事前にメンバー間である程度書き方のルールを統一したほうが良いかもしれない。
 
「価値マップ」の分類作業について、我々のチームは第一段階のKJ法のグルーピングで各グループのタイトルを「○○という価値」として明確に言語化する前に、メンバーが大雑把に共感できる「~系」という大雑把なタイトルをつけて分類を行ってから具体的に言語化することで意思決定のスピードアップを図った。序盤の分類作業のスピードは上がったが、作業を進めるなかでカードごとの価値の記述と分類は正しいのかという議論と、タイトルの言語化の議論が行ったり来たりになり、全体的にはあまり成果が出たとは言えなかった。
 
無意識にカードをきれいに並べてしまうのは、まずオブジェクトを整理したがるグラフィックデザイナーの習性か。自身の職務での特有の行為や発想(埋め込まれた学習)がバイアスにならないよう注意しなければ。実際、壁面の模造紙に貼って分類する過程において、隣接するグループの関係が検討の中で変化することによって、グループの枠内でも有機的にカードの位置が入れ替わっていく過程を体験したことで、確かにきれいに並べることに意味はないと実感できた。
 
先生のアドバイスから、グループの交わりをメンバー全員が強く意識したことで、立てた仮説の裏付けが明らかになっていく過程が見た目にわかりやすくなり、今まで以上に建設的な議論ができた。木を見て森が見えなくなるといういつもの失敗に陥らなかったことは、わずかばかりでも発達できたのではないかと思う。
 
今回は写真という利用状況が視覚的に把握しやすい情報があることで、構造化された分類の結果の納得感が高かった。そのせいか、視覚的な面から導き出された「傾向の発見」(写真を撮る人は、顕在的にも潜在的にも"どこかで見たような構図やアイデアの写真を撮りたい"という要求がある)になったが、時間内に答えは見つからなかったものの「その要求を満たすためのサービスとはなんだろう?」という議論までできたことは良かったと思う。
 
先生が講評で仰られた、「デジカメやスマートフォンの普及で、写真撮影が人々にとって昔よりカジュアルな行為になっても、写真の"作品としての質"はまったく向上していないのはなんでだろう?」という、社会の動向や人間の活動を俯瞰で見ることでの「問いの発見」まで至らなかったのは、まだまだ視野が狭く洞察が甘いということを実感した。
 
【リフレクション】
  • 主観の発想に自信がないなら、構造化して考えてみよう
  • チーム内でカードの内容を共感しやすくするために、書き方にはルールを設ける(太字で書く、価値が複数ある場合は順位をつけるなど)
  • なんでも見た目に整理することから始めるのではなく、変化することをを前提とした混沌から「関係性」を見つけることを意識する
  • グループの交わりを意識して視覚的に最大公約数を見つけ出すことが、傾向の発見につながる
  • 傾向の発見を「俯瞰で観る」ことで問いを立てて、リフレーミングにつながる問いを発見する



【UXに求められるセンスとは】
「一万時間の法則」において、これからUXの専門家になるのは無理だということは理解していたが、前々回に浅野先生が私におっしゃられた「君はセンスがないねー」という言葉が、今回のビアバッシュで先生と会話できたことで腹落ちした。
 
今回の宿題であった、写真を撮る人の行為の背景や価値を本当に理解するにはどうしたらいいのか?という質問に対して「その場で(撮影者に)聞けばいいじゃん」という答えとともに、「そういう行動や発想が自然にできないところがセンスがないんだよ」という指摘に加えて、「センスのある人はワークショップなんて途中で来なくなって、実際の業務で活かすための取り組みや組織作りに励んでいる」、「頑張ってやることは、そもそも向いてないことだから止めたほうがいい」という言葉をいただき、素直に納得できた。
 
対外的にそれなりの評価を得て、それなりに「センスがある」と自覚しているグラフィックデザイナーとしての自分が、日常や仕事において自然にやってきたこと、頑張るという意識でやっていないことに置き換えてみれば、逆にUXについては「センスがない」ということがしっくり理解できた。
 


【とはいうものの】
今後UXの専門家になることはないにしても、今回のワークショップを通じて学んだ4つの「身に着けたい態度」と「人を見る・世の中を見る」ことを日常から意識することは、デザイナーとして今後のクリエイティブな活動に必ず役立つと思うので継続していきたい。
 
また、社会人として為すべきことは学んだ手法や思考を何らかの形で実際の業務に取り入れて実践することなので、これまでのワークショップを改めて振り返り、役立てられそうなものは何でも試して、失敗しても振り返って、少しづつでも成果が出るように取り組んでいきたい。
 
いずれにしても、今後もUXやサービスについて考え続けること、考える場を作る活動に携わることで、「ヒトとして発達したい」という意思をあきらめないようにしたいと思う。
 


学生さん向けのワークショップということで、UXの基礎的な知識や手法を学びたいと思って参加したのですが、全5回を通してUXに携わるにあたって必要とされる「態度」の形成と、業務に活かすための実践的な取り組みの姿勢が重要であるという学びを得られました。
 
自分にとっては残念な現実を自覚することになりましたが、それを踏まえて今後も学びを継続して、あるべき態度を意識することで少しでも自身の発達につなげて仕事の成果に反映することができれば、今回参加した意義があったと思います。
 
浅野先生、大草先生、社会人の参加者の皆さま、学生の皆さま、運営の皆さま、ありがとうございました。
 
宮島敬右