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「学びの態度」について改める第一歩として、拙いながら体験の「外化」に取り組んでいます。 基本的には講義の内容の説明ではなく、感想と気づきの列挙になりますが、HCD/UXDに関しては出足の遅れた出来の悪い生徒であることを自認しているので、記憶の誤りや誤解があればご指摘ください。

【UX SHIGA 第4回】 ─エスノグラフィとCJM

まずは、ギリギリに教室に入ってしまい、大変申し訳ありませんでした。
次回はこのようなことのないようにいたします。
 
【リフレクション】
一本早いバスに乗る
 
【人間を見る・世の中を見ていく】
"デザイナーが生き残る手段"、"歳をとっても進化する能力"、"ピーターの法則"、"自分の中のOSを書き換える"…。
まるでここ数年のデザイナーとしての行き詰まりと、答え求める姿を、後ろで見られていたかのような感覚。
 
ベテランデザイナー→マネージャー失敗→現場に戻ってもダメ…ではなかったのは会社の時間が止まっていたおかげもあったが、先進的な取り組みに積極的な会社であれば確実に取り残されていただろう。
プレーイングマネージャーとして部下にデザインの技術や知識を教えることができても、「UXやHCD(人間中心設計)に強い組織を目指す」などといった部門としての将来のビジョンを描くことをせずに、(自身も含めて)プレーヤーとしてのクオリティや納期のみを優先し、結果的に組織の成長を妨げたことは、自身の「管理職としての資質のなさ」を痛感した経験である。
 
はるか以前、大阪でグラフィックデザイナーの杉崎真之介さんのワークショップに参加した際の質疑応答で、参加者の
「インハウスデザイナーとして、これからどうしていけばよいか?」という質問について、
「歳を重ねていくと、絵を描く(ビジュアル化する)才能は会社に消費され、最後は捨てられる。
そうならないために、これからデザイナーは仕事とは関係なく"社会とのかかわりを考えていく"ことが重要である」と回答されたのが印象に残っていた。
 
その後は日々の仕事に向き合うだけだったが、HCDの考え方に触れたことで、技術中心の会社の業務の流れにギャップを感じていたさなかに、
「UX」というワードに興味を持って参加した『UX Kobe』で浅野先生と初対面で自己紹介した際、
「日本人のグラフィックデザイナーという仕事は、いずれ賃金の安い海外の労働者にとってかわられる」
「歳食ったグラフィックデザイナーほど、会社からしたら使いにくい存在はない」
という刺激的な言葉を投げかけられたのが、危機感をもって「デザイナーとしての今後の在り方」を考えるきっかけになり、また、UXやサービスデザインに今後のデザイナーとしての活路を見出そうという考え方の起点になった。
 
そして今回の講義で、「人間を見る・世の中を見ていく」というのは「社会とのかかわりを考えていく」のと同じであると自分の中ではリンクした。
(最近流行りのソーシャルデザインやインクルーシブデザインの意味も少しあるかもと思うけれど)
 
【リフレクション】
  • 業務を離れたところで社会とかかわり、好奇心をもって日常的に「人間を見る・世の中を見ていく」ことこそが、UXの「引き出しの多さ」になり、問いを立てて"自力で答えを求め続けていく"ことが、「おさまりの能力」を鍛えていくのだろう。
  • 「調査やインタビューは今の会社の仕事の中ではやりたくてもできない、だから成長しない」というのは言い訳で、単に「甘い」だけだったと反省。
 
【コンテキストで考える】
HCDやUXについて学んだことで、もっとも自分の中で大事にしていることの一つ。
コンテキストのなかの連続するタッチポイントを見つけることが、「モノ」ではなく「コト」をデザインしたり、リフレーミングするインプットの起点になる。
そして、インプットのための調査(観察・インタビュー)で「利用状況やその時の感情を明らかにする」ことの質がより深い洞察を生み、アウトプットの質を高めるというのは、これまでのワークショップを通じて完全に刷り込まれた。
 
 
【カスタマージャーニーマップ】
良好なタッチポイントのシームレスな体験により、さらなるサービス品質の向上をデザインできるということが、新たな気づき。一度会社でも簡単に実践したが、タッチポイントの抽出とタッチポイントごとの個別の改善だけが重要ととらえていた。
 
【リフレクション】
「カスタマー」が「サービス」を「ジャーニー」する「マップ」であることを忘れない!
 
 
【ワークショップ:インタビュートレーニング】
準備やラポール形成が全くできない状態で突入したので、まずはプロセスを明らかにすることから始めて、最悪の旅の体験の「事象」を深堀りしようと試みた。
しかし、インタビューイーの方が「これしか思い浮かばないが、話すのは気が進まない」という雰囲気で、話された内容がここでも書いてよいかどうか判断しかねる家族間での出来事だったので、プライバシーへの配慮やどこまで突っ込んだ「なぜ?」の質問をしてよいものか苦心した。
インタビューイーがあまり話したくない話題をどうやって引き出したらよいものか…「話したくない」という雰囲気に躊躇して、自分の共感の態度(うなずき・相槌)が薄くなってしまったのもうまくいかなかった原因かもしれない。
 
【リフレクション】
  • 共感の態度をわかりやすく表示して、インタビューしながらもラポール形成を行う。
  • インタビューしながらでもきちんとメモをとって、インタビューの構成と時間を計算する。
 
【ワークショップ:カスタマージャーニーマップ】

インタビューをするとなればインタビューについてだけ考え、「プロセスが明快なものを選べ」と言われれば「プロセスが明快なだけ」のものを選んでしまう。「自分は何を学びにここに来ているのか」という一番大きな問いを忘れて、いつも目の前の課題だけに取り組んでしまうのはなぜなのだろう?

浅野先生の指摘の一つ、「普段から"サービスとは何か"を意識していない」というのも大きい理由だと思うが、作業に取り掛かる前にチーム全員で「誰のために」、「何のために」(あるいは「誰が」、「何の目的で」)だけでも意識合わせや方針決めを行う時間が短時間でも必要なのではないかと思った。

 

その時間はチームの課題への取り組みの熱量を上げることや、「自分ごと」として取り組む意識の醸成にも役立つのではないか。前回はチームの作業でありながら、自分も含めて全員最初から最後まで「時間内に言われたことを言われた順にやらなければ」という意識だけで動いていように感じた。もしかするとこれまでのワークショップにも自発的にそういった「場」を作り、ファシリテーションする能力が求められていたのかもしれない。

 

また、個人的には作業に入ってしまうと「作業だけ」に没入してしまい、「何が目的かがわからないので、何をやっているのかわからなくなる」のが、いままでのワークショップの失敗につながっている。チームで作業するメリットは以前先生がおっしゃったユダヤ10人目の男」になる人が自分以外にいることだと思えるが、事前の「誰のために」、「何のために」という意識合わせがなければ、進む方向に違和感を覚えてもユダヤ10人目の男」になるには相当勇気と自信がいるだろう。…でも、この考えは人のせいにしているようで、「甘い」と思えなくもない。

 

感情曲線については、先日参加したUX Japan Forumで登壇されたアクアリング 平野氏が実践されておられる「期待」と「不安」の感情の2本を描くというテクニックを、今後自分が取り組むときは取り入れたいと思った。「人間とはいかなるものか?」と考えた時、人間ゆえの「感情の矛盾」を把握しやすく、思いもよらない問題が発見できるのではないだろうか。

 
【リフレクション】
  • 作業開始の前に、短時間でも意識合わせのコミュニケーションをとる場を作ってみる。
  • 目の前のワークショップを完了することが目的ではなく、常にサービスの観点を持ってインプット・アウトプットを考える。
  • 「ユーザー」が「サービス」を使うことによって得た体験が「UX」であることを忘れない!
 
今回も大失敗でしたが、物事に対して「サービスの観点」を常に持つという意識は確実に以前より高まりました。
さらに、今後自分が体験する物事の不満・不便に対して、常に「UXの問題」なのか、「UIの問題」なのかを問いを立てていきたいと思います。
 
では、最終回もよろしくお願いいたします。
 
宮島敬右