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「学びの態度」について改める第一歩として、拙いながら体験の「外化」に取り組んでいます。 基本的には講義の内容の説明ではなく、感想と気づきの列挙になりますが、HCD/UXDに関しては出足の遅れた出来の悪い生徒であることを自認しているので、記憶の誤りや誤解があればご指摘ください。

【UX SHIGA 第2回】 ─オブザベーションとプロトタイピング

【質的調査とは】
行動観察については、「潜在的なニーズ」を見つけるためのトレーニングとして、社内のワークショップで取り組んだことがあるが、目的があやふや(コンセプトを作る?新製品を作る?)のまま進めたことから観察結果の事象をどう分類・分析すればよいか分からず、結局止めてしまった苦い思い出がある。社外のワークショップを「習えば分かる」と勘違いした結果、社内で再現して失敗する典型的な例だったと思う。
 
【観察の心構え】
「モノを見ない、ヒトを見る」という新しい知見。
「デザイナーの思考」ではモノや環境を先に見て、物理的な改善策を急いでしまう。デザインの学習時間が多い分、その経験に自然に頼ってしまうのか。
 
「問う」姿勢は持ちつつ、自分の中のバイアスを一切廃するモードに入ること。
振り返ってみれば、モノに対して「問う」ことより、ヒトの行動や発言に対して「問う」ことのほうが簡単だと思える。「問い」の姿勢が正しければ、自然ににモノを見ずにヒトを見るようになるのだろう。
 
[リフレクション]
  • 観察においては「職業:デザイナー」であることを忘れて取り組む。
  • 観察中は改善策を考えない。 
  • ヒトの行動・発言のみに「問い」を立てる姿勢を持つ。

【ワークショップ】
モニター役の「この具は何ですかね?」の発話に対してわざわざラベルを見て正解を教えるというモデレーターとしての大失敗。正しいモデレーションはおそらく「普段はどのようにして調べますか?」だろう。なんらかの自然な行為が引き出せたかもしれない。ラポール形成や質問などのお約束なしでモデレーターのモードに入るのが難しい。
 
モデレーター、被験者、撮影者と担当したのであまり観察に参加できず…「モデレーターは最高の観察席」という奥泉先生のアドバイスが活かされず、大いに反省。質問ができないため発話もあまり引き出せずで、前半はまったくの役立たずだった。自分の中で目的がきちんと設定できていなかったことが原因。こないだのインタビューのワークショップと同じ過ちをおかす。課題に対して目的の設定が当たり前のようにできるようになることが、きちんと「学んだ」という証明になるのだろう。
 
[リフレクション]
  • 目的を明確にして、人格を変えるつもりで自分の役割を実行する。
  • 自分の中のスイッチを意識する。体験したことがある役割なら特に意識して。
 
作業ステップの進め方について序盤は方針が固まらず、右往左往するも他のグループを偵察し、観察から得たすべてのデータを活かすため、KJ法的にグルーピングして抽出を行う方針で進める。他のチームの作業を見て、「なぜ?」を現場で見つける学習こそ、大勢参加するワークショップの意味があることを前回のマシュマロチャレンジの体験から学んだ…というか先生に指摘されて思い出した。
 
[リフレクション]
  • 時間を決めて、「問い」を立てる姿勢で定期的に他のチームの観察を行う。
  • ワークショップ中でも外部の情報を積極的に取り込むことを意識する。
 
なんとなく流れが見えてくると、自然に作業ステップと事象の分類が進む。全員自信が無いなりに、コミュニケーションを取りつつ民主的に進めた反面、意志決定が遅くなり時間に追われた。ワークショップは時間内に終わらせることが大事なので、ひとまず今回はこれでよかったと思える。
 
[リフレクション]
  • 目的を明確にして、時間内に「検討→評価→修正」を何度も繰り返す方が、問題定義の精度が高くなるはず。
  • 今後もワークショップは、失敗してもいいので時間内に必ず課題をやりきる。
 
明確な目的が設定できていない自分が、思いつきでイニシアチブを握っていたら手戻りで間に合わなかったかもしれない。実際取り組んでいる最中は時間内の「カードソート」の完了が漠然とした目的になっており、最終的に課題の目的である「問題点を抽出すること」に焦点が合っていなかった。
 
[リフレクション]
  • 自分の思考や活動にも常に「問い」を立てながら、焦点が正しいかを意識的して課題に取り組む。
  • 時間のある限り、「問を問い直す」という金言を守ろう。
 
デザイナーの思考だと、問題点をどうしてもモノ中心で見てしまうが、モノを通して見える不便や失敗はあくまで「症状」。
ゼリーという商品がヒトに提供するサービスのために、「パッケージ」と「スプーン」というモノが存在する。サービス改善のために見るべきはヒト。話すのも動くのもヒト。ヒトの感情や動作に問題は起因する。サービスとユーザーの"タッチポイント"を、ヒトの側から見つけて、「苦い体験はどこか」を明らかにしなければならない。UXの基礎である人間中心設計についての視座も怪しいことに反省。
 
[リフレクション]
  • 理想的なモノの完成型のビジュアルイメージから考えるデザイナーとしての思考は排除する。
  • ヒトの行動・発言が、内面の「情動」と外面の「負担・不便」にどう影響しているのかを「問い」を立てて観察する。
 
発表については、多くの班がフォーカスしていた「使用中」から「使用後」にかけての感情曲線の低下の解釈に、それぞれ違いがあり興味深かった。自身のチームは他のチームとは異なる視点による問題点の発見と、簡潔で伝わりやすいプレゼンテーションができたと思うが、「最後に楽しみをとっておいた"喜"」、「最後の楽しみがなくなっていた"哀"」という感情曲線の乖離については、問題の本質もっと掘り下げられたかもしれない。最終的にはモノを改善するのではなく、サービスについて改善または新しい価値を提供することを目的に、まずはエクストリームなペルソナと利用シーンを考えて、大きくリフレーミングしてみよう。
 
[リフレクション]
  • 問題を明確に定義できていれば、改善も軸がブレずにアイデアが広がるはず。やはり、「問いの質が、答えの質」である。
  • 観察の現場が利用シーンやコンテキストのすべてではないことを想定する。
 
「観察を先に行って問題点を明らかにしてから、ペルソナやシナリオを考える」という今回のワークショップのプロセスは、半ば強制的に視座を変えることやリフレーミングが求められるので、ユーザーや利用シーンが多様化している現在、新たな市場の開拓において非常に有効ではないか、という懇親会での大草先生のアドバイスは非常に納得できた。
 
[リフレクション]
  • 目的をことあるごとに書き出して、常に見えるところに置いておく。
  • いっそモノの名前を絶対に口に出さずに、ヒトとサービスの側から問題点を考えるというのはどうか。「スプーンが…」と発話した時点でスプーン中心でしか想像しなくなっているので。

今回痛感したのは、まだまだ自分の中に、反射的に呼び起こせる「UXのための思考」のスイッチそのものが確固として存在していない、それどころか、これまでの知識や体験で得た漠然とした「UXっぽい思考」にも切り替えができていないこと。加えて、「デザイナーとしての思考」が切り替えのバイアスになっていることも実感できた。
 
デザインの課題では反射的に呼び起こせる、課題を解決するための目的設定や危機管理の思考が、UXの課題で同じようにできないのは、まだまだ知識が経験に結びついていないから。
 
よって、未知のUXの課題に取り組むときには完全に思考が停止してしまっている。(ただ、UXという「言葉の概略を知っている」ので、他者のUXに対する「誤った認識」に猛然と批判的になってしまう。これは非常にタチが悪い…)
 
10000時間の学習時間と態度(多様な学びと失敗の繰り返し)の継続で発達することによって、「UXのための思考」のスイッチが入るスピードが上がり、いずれは入りっぱなしになることで、常に「統一的にしっくりいく」状態になるのだろう。
 
[リフレクション]
  • 自分の中のまだ存在しないスイッチを押そうとしても思考停止してしまうだけなので、次回からは「新しい自分を見つけるトレーニング」だと思って課題に取り組む。
  • 反省だけならサルでも出来るので、振り返りには必ず「リフレクション」を行うことを心がける。
 
先生のおっしゃった通り、自分は、まだまだです。
 
では、次回もよろしくお願いします。
 
宮島 敬右