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「学びの態度」について改める第一歩として、拙いながら体験の「外化」に取り組んでいます。 基本的には講義の内容の説明ではなく、感想と気づきの列挙になりますが、HCD/UXDに関しては出足の遅れた出来の悪い生徒であることを自認しているので、記憶の誤りや誤解があればご指摘ください。

UX KANSAI 第一期を振り返る

何回目の懇親会かは忘れましたが、十三の沖縄料理の立ち飲みで浅野先生に「君は今期が終わったら一度振り返ってブログを書くといいよ」と勧めていただいたので、久しぶりにブログを書きました。
 
運営スタッフとして参加した第一期の活動の中で、自分がどのような経験をしたのか振り返ってみたいと思います。
 

 
【なぜ始めたのか】
  • 博多で開催された第2回のUX Japan Forum 2015の懇親会で、その前日に浅野先生から 「来年は関西でJapan Forumやるから」 と仕切りを任されたリーダーの徳見さんに運営への参加を誘われたのがきっかけです。
  • UX Kobe、UX Shiga の後でもう一回セミナーを受講しても同じ失敗をくりかえすだけで意味がないと思っていたのと、浅野先生のセミナーからはちょっと距離を取って外から見てみたいなあと考えていたので、その場で快諾しました。
  • 今まで「利己的に」仕事一筋でやってきたので、運営を通じてUXにも通じる「利他的な活動」をやってみたかったというのも理由の一つでした。
  • UX Shigaの最終回で浅野先生から「君はUXに向いてないからやめたほうがいい」とまで言われたのに完全に距離を置こうと思わなかったのは、UX Japan Forum 2015の締めにやはり浅野先生が参加者に向けておっしゃった「ここに来ている人は、未来を見つけに来てるんじゃないかな」という言葉が大きかったように思います。
 
【なぜ続けられたのか】
  • 運営でのはじめてのブレストで、付箋とプロッキーを使って意見を分類していく段取りを当たり前のように進める徳見さんをみて、実践する人はこういうことが自然にできるんだなぁ、今まで身近で協働したことのないUXの実践者と一緒に運営を進められるのは学びになるかもなぁと思いはじめて、モチベーションが上がっていったように思います。
  • 多様な業種・職種のメンバーが、利害関係なく自主的に集まって運営できたので、まったくストレスを感じませんでした。各人の事情・思想・スキルを尊重しながらも、個々の活動や経験を持ち寄って互いに助け合える頼もしい方たちばかりだったので、スタッフ間の人間関係がとても円満でやりやすかったからです。
  • 毎回のセミナーの運営とJapan Forum本番が近づくにつれて「受講者の満足(幸福)」について考えることが意識づけられ、やっと「ああ、これって運営を通じて自分もUXを実践しているんだなあ」という意識になりました(遅い)。
  • それでも自分が参加者としてセミナーを受講していたときのような「辛さを感じる頑張り」をまったく感じなかったのは、周りの方が優秀だったからというのが非常に大きいですが、運営という立場は自分が「頑張らなくても学びを続けられる」やり方だったのかな、とも思います。(自分が発達できたかは自信がありませんが)
  • 多様なバックグラウンドの受講者の方が多かったのも、モチベーションが続いた理由です。受講者のみなさんの熱気を感じ、UXという概念が関西でも幅広い分野で求められているというのを目の当たりにしたことで、おおげさですが社会的責任みたいなものを感じたのかもしれません。
 
【なにを感じたのか】
  • 過去に自分も経験しましたが、ワークショップの渦中に入ると「目的」や「何をやっているのか」を見失ってしまうんだなぁと、運営の立場で外から見ると本当に良くわかりました。先生が勧めるワーク中に他のチームを偵察する行為は客観的な視点を呼び戻すきっかけになるのかな、といまさらながら思いました。
  • アウトプットを求められる当事者意識の「主観」と、「事実」というインプットから調査・分析を行うための「客観」を行ったり来たりする視座と精神のバランスの重要性を感じました。
  • 精神といえば、やはり自身が健全な精神でなければUXという「人の幸せを考える」行為はより難しくなります。UX Shigaのころは先の見えない仕事や家庭の事情の悩みが積み重なり、精神状態が不安定だったのも「UXに向いていなかった」理由だと思います。心に余裕がなければ問いを立てる余裕も生まれないことを実感しました。
  • 向き不向きは、やっぱりあります。実践力、求心力、洞察力、好奇心、探求心…。向いている人はやはり自分にはないセンスや地力を持っていることを、実践者の方と交流や運営の活動を進めていくことで実感しました。
  • 自分の中で「UXは"正しいやり方"だから絶対に"正しい"」と思い込んでいました。会社においては「儲かるやり方が"正しい"」ということが真実であると、自身のこれまでの失敗を踏まえてよくわかりました。
  • 運営内でワーク形式の打ち合わせを行った際、UXへの理解があるメンバー同士が経験や知識に基づいた共通言語で話すと、こんなにも発展的な議論ができて、打ち合わせがストレスなく円滑に進められるんだなあと感心しました。「UXの仕事をしたいなら、すでに実践している会社に転職せよ」というのは真実だと思いました。
 
【なにが変わったのか】
  • 相変わらず本業でUXを実践していないので、その面での変化や成長はないですが、運営としてJapan Forumで全国のUXコミュニティの方と交流できたことで、今後コミュニティをどう存続させて、社会から尊敬を集める存在にしていくかということに興味が出てきました。
  • セミナーとUX Japan Forumを通じて、UXとは「会社においては儲かる仕組みを作ること」、「社会においては幸福度を向上させるための仕組みを作ること」であり、同時に「その仕組みが持続可能であること」と理解し、少し視野が広がりUXについての考え方が変わりました。
  • 過去の自分は「UXは自分の仕事を進めるための "正しいやり方"である」という「手順」に固執するあまり、一歩間違えると前にも後ろにも進めなくなっていたんだなと気づきました。今回運営という立場でUXの一連の流れを俯瞰できたのは「構造」を学ぶ大変良い機会になりました。
  • 自分の過去を振り返って「UXを学べば自分が変わる」のではなく、「自分が変わらなければUXを学んでも何も変わらない」んだなと気づきました。
  • 仕事でユーザーのことを考えるときや、他のセミナーやワークショップに参加した時に耳元で浅野先生の声が聞こえるようになりました。(「……なぜ?……なぜ?……なぜ?……なぜ?……なぜ?…… 」)
  • 中津は今まで縁がなかったのですが、通いたくなるお店が多いことを懇親会で学びました。
 
【なにを改善するのか】
  • ワークショップ中に受講者の方にあまり関与しなかったことです。運営であるという立場にとらわれていて(というかワークに参加しない気楽さから安心していて)、特に前半は観察するでもなくアドバイスするでもなくぼんやりしている時間が多かったのはもったいなかったなと反省しています。
  • 参加者の入れ替わりでチームが持続せずワークショップの成果に影響を与えたのは大きな課題です。継続できるチームビルディングができるように、初回のワークショップに先んじて受講者に対する調査・分析が必要だと思いました。
  • イベントにおいては運営側でうまくタイムマネジメントができませんでした。参加者が時間内にどんな行為をして、何を達成したいのかをよく観察していこうと思います。
  • 成果発表後の質疑応答が活発にならず盛り上がらないのは関西人の気質とはいえ、運営としても何とかしたいところです。
 
【これからどうしていくのか】
  • UX Shigaで「無知の知」を自覚し、UX KANSAIで「答えは無い」ことを知りました。UXに向いていなくても「人間とはいかなるものか」を考え、常に「問いを立てる」ことはこれからも続けていきます。
  • 「向いていない人は、その人なりにUXの理解を深めて、向いている人の下でできることをやりましょう」という言葉は完全に腹落ちしました。卑屈にならず自分のできることをやっていこうと思います。
  • そもそもですが、自分が「なぜUXを学びたいのか」を問い直していきたいと思います。また、受講者の方にも同じ問いをもって接していくことで、受講者がUXに何を求めているのか、コミュニティとしてどんな仕組みを作れるのかを考えていきたいと思います。

 


 
なんだかあっという間の第一期でしたが、大きいトラブルもなくイベントやセミナーも成功し、思っていた以上に充実した時間を過ごせたことで、懇親会では毎回美味しくお酒がいただけました。運営に参加してよかったです。
 
浅野先生、受講者のみなさま、運営のメンバーに感謝いたします。本当にありがとうございました。
 
来期もよろしくお願いします。
 
宮島敬右
 
 
 

【UX SHIGA 第5回】 ─エスノグラフィとKA法

【前回のリフレクション】
  • インタビューにおいて、「事象・活動を聞き出す」だけになったこと(=インプットの質)が、時系列に並んだ事象・活動ごとの「個人的な問題」を解消するという結果(=アウトプットの質)になってしまい、課題である「最悪の旅」のサービス全体の問題を定義できなかった。
  • インタビューの本来の目的は「ユーザーのゴールを聞き出すこと」であった。ゴールがはっきりしなければ、「なぜゴールに至らなかったか」という問いが立てられないので、サービスとしての改善案が出せなかった。
  • インタビューイーは必ずサービスの受け手側である」という思い込みで作業を進めたことも失敗の原因だった。インタビューの内容からステークホルダーの関係性を把握して「サービスの提供側と顧客側を正しく設定する」ことも、ユーザーのゴールを明らかにするためのプロセスとして必要だと思った。
  • 「木も見て、森も見る」という意識=「俯瞰で観る」ことで、多くの関係性や問題が見えてくる=問いが立てられるので、リフレーミングにつながる。


【宿題への取り組み】
幸い職場が「なんばパークス」の中にあり観光名所も近いことから、毎日昼休みの30分を調査に当てて、写真を撮る人を探すことにした。
 
なんばパークスの広場には、毎年この時期に巨大なクリスマスツリーが設置されるので、写真撮影する人が非常に多かった。
昼間は買い物に来たママ友や若年のカップルがガラケースマートフォンのカメラでツリーの前に同伴者を立たせて互いに記念撮影していた。行為の背景としてはやはり季節限定かつ、今年は西野カナがプロデュースした展示ということで、「記念にとりあえず撮っておこう」というのが行為の背景だと思われた。
一方夜間は男性の年配の方が一眼レフを使って、ライトアップされるツリーそのものを撮影しているのが目立っていた。細くカメラの設定やレンズを変えて同じアングルを何度も撮影していたことから、行為の背景としてはイルミネーションを撮影することで「カメラやレンズの性能を測っている」ように思われた。
 
観光客や買い物客の多いと思われる「道具屋筋」でも何度も往復してカメラを持っている人の後をついて回ったり、シャッター音に耳をすませて写真撮影する人を探した。たまたま連続して写真撮影する人を見かけた刃物屋と瀬戸物屋の付近で定点観測して、撮影する人を観察した。どちらも写真撮影していたのはアジア系の外国人観光客だったが、刃物屋については「日本刀や日本独自の刃物」をディスプレイ展示していたので「来日した記念に、いかにも日本らしいモノを撮影したい」という行為の背景があったように思うが、瀬戸物屋についてはその店特有の「ワレモノでありながらドン・キホーテのような雑多な展示」が面白いと思ったものの、撮影する人の行為の背景や暗黙のルールについては決定的なことが分からなかった。(ただ、店内が撮影禁止だったので、せめて外から撮影しておこうという動機があったかもしれない)
 
わかりやすい観光地として、「なんばグランド花月」の前でも定点観測して撮影する人を観察したが、「この場所に来た証明」ということで撮影する人は建物を撮影するので、上を見上げて撮影していると思われた。新喜劇の芸人の着ぐるみと並んで記念撮影する家族を撮影するのも、「この場所に来た証明」に加えて「ここでしか撮影できないシチュエーションや受けられないサービス」が行為の背景になると思われた。ただ、「新喜劇の芸人の着ぐるみと並んで記念撮影する"他人"」を撮影する観光客の行為の背景は今ひとつ理解できなかった。単独行動ゆえに着ぐるみと一緒に記念撮影できなかったことから、他人が写り込んでいてもいいので着ぐるみの写真を撮りたかったのだろうか。
 

 
【ワークショップ -KA法-】
チームの人数が少なく、ゼリーの課題で大失敗した際に同じチームなった方が多かったので、「今回こそ失敗しない」という意思統一ができていたと同時に、社会人や学生という立場を超えて対等な議論ができた。また、写真の課題も全員が持ち寄れたので、士気の高い状態で課題に入れたことも、チームビルディングとしてはうまくいったように思う。
 
今回のインプットとなるカードへの「心の声」と「価値」の記入は、個人の主観がインプットの質になる。同時にチームのメンバーにも「共感できる」文章を書くことが後の作業の精度と効率を上げる。「誰もが共感できる言語化」には文章力や語彙も必要だが、「一言でまとめるセンス」が必要だと感じた。(このあたりも自身にライティングの知識やテクニックがあっても「センスがない」と痛感した)
 
カードに記入する「価値」について考えたとき、「それってどういう価値なのか?」という自問自答が何度も繰り返された。
想像力に頼って漠然と答えを突き詰めても「甘さ」があったように思うので、カード中の事項をそれぞれ「出来事=事象」、「心の声=行為目標(撮影者のゴール)」と捉えて、そのゴールから得られる「価値=本質的要求」と構造化して考えればより精度の高い答えが出せたのではないか。
 
チームの中では「他人に~と思われたい」という価値が多かったが、各々言語化できているつもりでも、実際には分類しにくいことが多々あった。作業の効率や共感しやすさを考えると、事前にメンバー間である程度書き方のルールを統一したほうが良いかもしれない。
 
「価値マップ」の分類作業について、我々のチームは第一段階のKJ法のグルーピングで各グループのタイトルを「○○という価値」として明確に言語化する前に、メンバーが大雑把に共感できる「~系」という大雑把なタイトルをつけて分類を行ってから具体的に言語化することで意思決定のスピードアップを図った。序盤の分類作業のスピードは上がったが、作業を進めるなかでカードごとの価値の記述と分類は正しいのかという議論と、タイトルの言語化の議論が行ったり来たりになり、全体的にはあまり成果が出たとは言えなかった。
 
無意識にカードをきれいに並べてしまうのは、まずオブジェクトを整理したがるグラフィックデザイナーの習性か。自身の職務での特有の行為や発想(埋め込まれた学習)がバイアスにならないよう注意しなければ。実際、壁面の模造紙に貼って分類する過程において、隣接するグループの関係が検討の中で変化することによって、グループの枠内でも有機的にカードの位置が入れ替わっていく過程を体験したことで、確かにきれいに並べることに意味はないと実感できた。
 
先生のアドバイスから、グループの交わりをメンバー全員が強く意識したことで、立てた仮説の裏付けが明らかになっていく過程が見た目にわかりやすくなり、今まで以上に建設的な議論ができた。木を見て森が見えなくなるといういつもの失敗に陥らなかったことは、わずかばかりでも発達できたのではないかと思う。
 
今回は写真という利用状況が視覚的に把握しやすい情報があることで、構造化された分類の結果の納得感が高かった。そのせいか、視覚的な面から導き出された「傾向の発見」(写真を撮る人は、顕在的にも潜在的にも"どこかで見たような構図やアイデアの写真を撮りたい"という要求がある)になったが、時間内に答えは見つからなかったものの「その要求を満たすためのサービスとはなんだろう?」という議論までできたことは良かったと思う。
 
先生が講評で仰られた、「デジカメやスマートフォンの普及で、写真撮影が人々にとって昔よりカジュアルな行為になっても、写真の"作品としての質"はまったく向上していないのはなんでだろう?」という、社会の動向や人間の活動を俯瞰で見ることでの「問いの発見」まで至らなかったのは、まだまだ視野が狭く洞察が甘いということを実感した。
 
【リフレクション】
  • 主観の発想に自信がないなら、構造化して考えてみよう
  • チーム内でカードの内容を共感しやすくするために、書き方にはルールを設ける(太字で書く、価値が複数ある場合は順位をつけるなど)
  • なんでも見た目に整理することから始めるのではなく、変化することをを前提とした混沌から「関係性」を見つけることを意識する
  • グループの交わりを意識して視覚的に最大公約数を見つけ出すことが、傾向の発見につながる
  • 傾向の発見を「俯瞰で観る」ことで問いを立てて、リフレーミングにつながる問いを発見する



【UXに求められるセンスとは】
「一万時間の法則」において、これからUXの専門家になるのは無理だということは理解していたが、前々回に浅野先生が私におっしゃられた「君はセンスがないねー」という言葉が、今回のビアバッシュで先生と会話できたことで腹落ちした。
 
今回の宿題であった、写真を撮る人の行為の背景や価値を本当に理解するにはどうしたらいいのか?という質問に対して「その場で(撮影者に)聞けばいいじゃん」という答えとともに、「そういう行動や発想が自然にできないところがセンスがないんだよ」という指摘に加えて、「センスのある人はワークショップなんて途中で来なくなって、実際の業務で活かすための取り組みや組織作りに励んでいる」、「頑張ってやることは、そもそも向いてないことだから止めたほうがいい」という言葉をいただき、素直に納得できた。
 
対外的にそれなりの評価を得て、それなりに「センスがある」と自覚しているグラフィックデザイナーとしての自分が、日常や仕事において自然にやってきたこと、頑張るという意識でやっていないことに置き換えてみれば、逆にUXについては「センスがない」ということがしっくり理解できた。
 


【とはいうものの】
今後UXの専門家になることはないにしても、今回のワークショップを通じて学んだ4つの「身に着けたい態度」と「人を見る・世の中を見る」ことを日常から意識することは、デザイナーとして今後のクリエイティブな活動に必ず役立つと思うので継続していきたい。
 
また、社会人として為すべきことは学んだ手法や思考を何らかの形で実際の業務に取り入れて実践することなので、これまでのワークショップを改めて振り返り、役立てられそうなものは何でも試して、失敗しても振り返って、少しづつでも成果が出るように取り組んでいきたい。
 
いずれにしても、今後もUXやサービスについて考え続けること、考える場を作る活動に携わることで、「ヒトとして発達したい」という意思をあきらめないようにしたいと思う。
 


学生さん向けのワークショップということで、UXの基礎的な知識や手法を学びたいと思って参加したのですが、全5回を通してUXに携わるにあたって必要とされる「態度」の形成と、業務に活かすための実践的な取り組みの姿勢が重要であるという学びを得られました。
 
自分にとっては残念な現実を自覚することになりましたが、それを踏まえて今後も学びを継続して、あるべき態度を意識することで少しでも自身の発達につなげて仕事の成果に反映することができれば、今回参加した意義があったと思います。
 
浅野先生、大草先生、社会人の参加者の皆さま、学生の皆さま、運営の皆さま、ありがとうございました。
 
宮島敬右

【UX SHIGA 第4回】 ─エスノグラフィとCJM

まずは、ギリギリに教室に入ってしまい、大変申し訳ありませんでした。
次回はこのようなことのないようにいたします。
 
【リフレクション】
一本早いバスに乗る
 
【人間を見る・世の中を見ていく】
"デザイナーが生き残る手段"、"歳をとっても進化する能力"、"ピーターの法則"、"自分の中のOSを書き換える"…。
まるでここ数年のデザイナーとしての行き詰まりと、答え求める姿を、後ろで見られていたかのような感覚。
 
ベテランデザイナー→マネージャー失敗→現場に戻ってもダメ…ではなかったのは会社の時間が止まっていたおかげもあったが、先進的な取り組みに積極的な会社であれば確実に取り残されていただろう。
プレーイングマネージャーとして部下にデザインの技術や知識を教えることができても、「UXやHCD(人間中心設計)に強い組織を目指す」などといった部門としての将来のビジョンを描くことをせずに、(自身も含めて)プレーヤーとしてのクオリティや納期のみを優先し、結果的に組織の成長を妨げたことは、自身の「管理職としての資質のなさ」を痛感した経験である。
 
はるか以前、大阪でグラフィックデザイナーの杉崎真之介さんのワークショップに参加した際の質疑応答で、参加者の
「インハウスデザイナーとして、これからどうしていけばよいか?」という質問について、
「歳を重ねていくと、絵を描く(ビジュアル化する)才能は会社に消費され、最後は捨てられる。
そうならないために、これからデザイナーは仕事とは関係なく"社会とのかかわりを考えていく"ことが重要である」と回答されたのが印象に残っていた。
 
その後は日々の仕事に向き合うだけだったが、HCDの考え方に触れたことで、技術中心の会社の業務の流れにギャップを感じていたさなかに、
「UX」というワードに興味を持って参加した『UX Kobe』で浅野先生と初対面で自己紹介した際、
「日本人のグラフィックデザイナーという仕事は、いずれ賃金の安い海外の労働者にとってかわられる」
「歳食ったグラフィックデザイナーほど、会社からしたら使いにくい存在はない」
という刺激的な言葉を投げかけられたのが、危機感をもって「デザイナーとしての今後の在り方」を考えるきっかけになり、また、UXやサービスデザインに今後のデザイナーとしての活路を見出そうという考え方の起点になった。
 
そして今回の講義で、「人間を見る・世の中を見ていく」というのは「社会とのかかわりを考えていく」のと同じであると自分の中ではリンクした。
(最近流行りのソーシャルデザインやインクルーシブデザインの意味も少しあるかもと思うけれど)
 
【リフレクション】
  • 業務を離れたところで社会とかかわり、好奇心をもって日常的に「人間を見る・世の中を見ていく」ことこそが、UXの「引き出しの多さ」になり、問いを立てて"自力で答えを求め続けていく"ことが、「おさまりの能力」を鍛えていくのだろう。
  • 「調査やインタビューは今の会社の仕事の中ではやりたくてもできない、だから成長しない」というのは言い訳で、単に「甘い」だけだったと反省。
 
【コンテキストで考える】
HCDやUXについて学んだことで、もっとも自分の中で大事にしていることの一つ。
コンテキストのなかの連続するタッチポイントを見つけることが、「モノ」ではなく「コト」をデザインしたり、リフレーミングするインプットの起点になる。
そして、インプットのための調査(観察・インタビュー)で「利用状況やその時の感情を明らかにする」ことの質がより深い洞察を生み、アウトプットの質を高めるというのは、これまでのワークショップを通じて完全に刷り込まれた。
 
 
【カスタマージャーニーマップ】
良好なタッチポイントのシームレスな体験により、さらなるサービス品質の向上をデザインできるということが、新たな気づき。一度会社でも簡単に実践したが、タッチポイントの抽出とタッチポイントごとの個別の改善だけが重要ととらえていた。
 
【リフレクション】
「カスタマー」が「サービス」を「ジャーニー」する「マップ」であることを忘れない!
 
 
【ワークショップ:インタビュートレーニング】
準備やラポール形成が全くできない状態で突入したので、まずはプロセスを明らかにすることから始めて、最悪の旅の体験の「事象」を深堀りしようと試みた。
しかし、インタビューイーの方が「これしか思い浮かばないが、話すのは気が進まない」という雰囲気で、話された内容がここでも書いてよいかどうか判断しかねる家族間での出来事だったので、プライバシーへの配慮やどこまで突っ込んだ「なぜ?」の質問をしてよいものか苦心した。
インタビューイーがあまり話したくない話題をどうやって引き出したらよいものか…「話したくない」という雰囲気に躊躇して、自分の共感の態度(うなずき・相槌)が薄くなってしまったのもうまくいかなかった原因かもしれない。
 
【リフレクション】
  • 共感の態度をわかりやすく表示して、インタビューしながらもラポール形成を行う。
  • インタビューしながらでもきちんとメモをとって、インタビューの構成と時間を計算する。
 
【ワークショップ:カスタマージャーニーマップ】

インタビューをするとなればインタビューについてだけ考え、「プロセスが明快なものを選べ」と言われれば「プロセスが明快なだけ」のものを選んでしまう。「自分は何を学びにここに来ているのか」という一番大きな問いを忘れて、いつも目の前の課題だけに取り組んでしまうのはなぜなのだろう?

浅野先生の指摘の一つ、「普段から"サービスとは何か"を意識していない」というのも大きい理由だと思うが、作業に取り掛かる前にチーム全員で「誰のために」、「何のために」(あるいは「誰が」、「何の目的で」)だけでも意識合わせや方針決めを行う時間が短時間でも必要なのではないかと思った。

 

その時間はチームの課題への取り組みの熱量を上げることや、「自分ごと」として取り組む意識の醸成にも役立つのではないか。前回はチームの作業でありながら、自分も含めて全員最初から最後まで「時間内に言われたことを言われた順にやらなければ」という意識だけで動いていように感じた。もしかするとこれまでのワークショップにも自発的にそういった「場」を作り、ファシリテーションする能力が求められていたのかもしれない。

 

また、個人的には作業に入ってしまうと「作業だけ」に没入してしまい、「何が目的かがわからないので、何をやっているのかわからなくなる」のが、いままでのワークショップの失敗につながっている。チームで作業するメリットは以前先生がおっしゃったユダヤ10人目の男」になる人が自分以外にいることだと思えるが、事前の「誰のために」、「何のために」という意識合わせがなければ、進む方向に違和感を覚えてもユダヤ10人目の男」になるには相当勇気と自信がいるだろう。…でも、この考えは人のせいにしているようで、「甘い」と思えなくもない。

 

感情曲線については、先日参加したUX Japan Forumで登壇されたアクアリング 平野氏が実践されておられる「期待」と「不安」の感情の2本を描くというテクニックを、今後自分が取り組むときは取り入れたいと思った。「人間とはいかなるものか?」と考えた時、人間ゆえの「感情の矛盾」を把握しやすく、思いもよらない問題が発見できるのではないだろうか。

 
【リフレクション】
  • 作業開始の前に、短時間でも意識合わせのコミュニケーションをとる場を作ってみる。
  • 目の前のワークショップを完了することが目的ではなく、常にサービスの観点を持ってインプット・アウトプットを考える。
  • 「ユーザー」が「サービス」を使うことによって得た体験が「UX」であることを忘れない!
 
今回も大失敗でしたが、物事に対して「サービスの観点」を常に持つという意識は確実に以前より高まりました。
さらに、今後自分が体験する物事の不満・不便に対して、常に「UXの問題」なのか、「UIの問題」なのかを問いを立てていきたいと思います。
 
では、最終回もよろしくお願いいたします。
 
宮島敬右

 

約一ヶ月間ゼリーを食べ続けることでの学び

浅野先生からの勧めで、約1ヵ月ゼリーを職場や自宅、移動中の新幹線で食べて、サービスの問題点を見つけることに取り組んでみました。

的外れなところや洞察が甘いところもあるかもしれませんが、実際に食べ続けてみると、ワークショップの中では得られなかった気づきが利用状況の中でありました。
特に、食べ続ける中で自身が成長することで解決できる問題があることや、周りの環境や登場人物の関与によって気づく問題があったのは、自分にとっても面白い体験でした。
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事象利用状況】
ゼリーの開封に慣れていない時期に、ふたを開けるときに汁が飛び出て机を汚した。または手についた。
 
【できない理由】
フタの説明の文言が分かりにくいので、何度か失敗して学習する必要がある。
 
【問題
汁をこぼさないふたの開け方を学習するまでは、たいてい失敗する。
 
【洞察】
何度か食べるうちに学習して解決したので、実は大きな問題ではないのでは。
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事象利用状況】
ゼリーという「デザートを食べている」にもかかわらず、非常に「集中している」と感じる瞬間があった。
 
【できない理由】
コンビニではゼリーには「このスプーン」という、コンビニごと、さらには店員ごとの属人的なルールがある。
(店員が「埋め込まれた学習」の中にいる?)
スプーンには以下の3種類があり、どれを客に渡すかはおそらく店員ごとの裁量。
 
・スープ用の大きいスプー
 →気の利く店員が、尋ねた上で渡してくれる。食べやすい。
 →大きく掬える分、口を大きく開けることになるので、掬う量に注意しないと周囲の人間からは品のない食べ方と思われる不安がある。
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・柄が長いが、ヘッドが小さいスプー
 →柄が長いので、掬うときに手が容器のふちから離れるので指が汚れにくい。
 →ヘッドが小さいので口まで運ぶときのハンドリングが難しい。
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・柄も短く、ヘッドも小さいスプー
 →柄が短いので、掬うときに手が容器のふちに触れることが多く、指が汚れる。
 →ヘッドが小さいので口まで運ぶときにバランスをとるのが難しい。
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【問題
小さいヘッドのスプーンで食べる行為が、難易度が高いと感じる。
 
【洞察】
コンビニ店員が気を利かせて大きいスプーンをくれる(またはこちらから要求する)、
自宅では使いやすいスプーンを使うなどすれば解決したので、実は大きな問題ではないのでは。
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事象利用状況】
移動中の新幹線でゼリーを食べているときに、すごく猫背になっていることに気づいた。
 
【できない理由】
ゼリーの硬さによって掬ったときに、糸を引くように小さいゼリーが引っ付いてくることがある。
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それをこぼさないように口まで持っていこうとすると、自然に頭を容器に近づけてしまい、猫背になってしまう。
 
 
【問題】
スプーンでの移動中、こぼさないようにするために容器と口の間隔を近づけてしまうので、自然と食べるときの姿勢が悪くなる。
 
【洞察】
姿勢が悪いせいで、人前では「だらしない人」のように見られているのでは…という不安がある。
 

 
事象・利用状況】
テレビを見ながらゼリーを口に運んでいるときに、こぼさないようにスプーンを注視していたら、面白いシーンを見逃した。
また、ゼリーを食べているときは、普段あれほど見ているスマートフォンをまったく見ていないことに気づいた。
 
【できない理由】
ゼリーを食べているときは容器とスプーンを持つことで両手がふさがる。
また、こぼさないために手とスプーンの動きに視線が集中してしまう。
 
【問題】
カップのゼリーは、気軽に「ながら食べ」ができない。
 
【洞察】
テレビを見ながら食べられないのは、くつろぐ時間を満喫できないのでは?
スマホを操作しながら食べられないのは、今の時代にふさわしくないのでは?
おしゃべりや読書しながら食べられないのは、会社の昼休みのデザートにふさわしくないのでは?
そもそもゼリーってそんなに集中して食べるほどのデザートなのだろうか?
 

 
事象・利用状況】
自宅でゼリーを食べているときに、奥さんが「一口ちょうだい」と、私が使っているスプーンでゼリーを食べた。
家族だから抵抗はないが、他人だったら嫌だなーと思った。
 
【できない理由】
カップのゼリーは一口づつスプーンで掬って口に入れるので、ゼリーにもスプーンにも必ず唾液がつく。
 
【問題】
カップのゼリーは、気軽に「シェア」できない。
 
【洞察】
他人どうしで、ひとつのスプーンを使ってカップのゼリーを回し食べすることに生理的な抵抗はない?
実は「ゼリーを食べる」というのは、とても孤独な行為なのでは?
 

 
事象・利用状況
食べはじめと食べ終わりに、「ゼリーだけ」を食べるとき、テンションが下がる。
 
【できない理由】
カップが高さ方向に大きいので、「フルーツの場所の天地位置に偏り」ができ、ゼリーだけを食べることになる。
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【問題】
最後にゼリーだけになると「早く食べ終わりたくなる」ので、行儀が悪いと分かっていても啜ってしまう。
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逆に最初にゼリーだけだとフルーツにたどり着くまでに小腹が満たされ、嬉しさが減る。
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【洞察】
テンションが下がることについては、ゼリーに色が付いているだけで少し解消されているように思った。
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事象・利用状況
ゼリーを購入しはじめてから、自宅で猫のトイレの処理用にコンビニ袋を活用していたのができなくなったのに気づいた。
 
【できない理由】
ふたの裏側や容器など、ゴミに少し汁気があるので、すぐ近くにゴミ箱がない場合には一旦コンビニ袋に入れて縛ってしまうので、コンビニ袋を自宅に持って帰れない。
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【問題】
コンビニ袋の有効活用ができない。
 
【洞察】
コンビニ袋に入れなくても周りを汚さないような、容器の捨て方の工夫が必要ではないか?
 

 
【ゼリーについて売り場での気づき】
  • サービスとして、ヨーグルトのような「お腹によい」という分かりやすい機能性や、「朝に食べる」といった推奨できる食べ方の必然性がない。
  • フルーツグラノーラやソースをかけるというヨーグルトのような「ユーザーカスタマイズ」の要素がまったく無い。
  • サービスではなく、ゼリー全体の「量」や、フルーツの「量・種類」といった「モノ」だけが差別化の要因になっている。

【UX SHIGA 第3回】 ─調査の記述…ワークショップの再考

ワークショップでの失敗とそのリフレクション、またその後の皆さんの振り返りや先生のコメントなどをふまえて、もういちど一人でワークショップに取り組んでみました。

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行動観察からの発見した問題点やユーザーの声として、以下の内容に注目しました。

  • 食べるのに時間がかかる
  • 意外とお腹がいっぱいになる
  • 男性はあまりデザートとして購入しない
  • ゼリーはローカロリーだと思う
  • フルーツゼリーは食物繊維が摂れそう

ゼリーを食べるシーンにおいて上記の問題を改善して、さらにゼリーを通じてより良いサービスを受けることが共感しやすいペルソナとして以下の人物を設定し、ワークショップの成果物である9コマシナリオを再度考えました。

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【UX SHIGA 第3回】 ─調査の記述


【プロトペルソナの作成】
事 前の説明での「なるべく自分たちから遠い存在」という指示と、「"自衛隊"が使うバンドエイド」という例を深く考えずに受け取り、自分たちから自衛隊くら いまで遠くてもいいのか!と思いこんでしまった結果、エクストリームユーザー(実際にはエクストリームユーザーではなく特徴的な嗜好と思考を持ったユー ザーだった)の利用シーンを創作し、そこから何か斬新な問題解決を見出そうという流れになった。
 
同時に、自分の中では他のチームとは違った目線で大きくリフレーミングしてみることで、面白いアイデアを出してみようというマインドセットになっていた。
 
そのためか、他のチームの設定したペルソナを見ても「普通過ぎないか?自分に近すぎないか?」と否定的に受け止めて、ただ"遠いだけ"で共感できない存在の自分たちのペルソナこそが前回発見した問題
 
「食べる順番にこだわって最後に好きなフルーツを残して食べた」人と「何もこだわらず思いつくままに食べた」人の感情曲線の乖離
 
を解決し、斬新なアイデアを発想するのにふさわしいと完全に誤解してしまい、スタート時点から「状況に埋め込まれた学習」が始まっていた。最終的にはキャズムを広げるだけの結果になり、さらにジャンプも出来ていない状態に陥ってしまった。
 
【リフレクション】
  • 物事に取り組む際のマインドセットの間違いは大事故のもと。なにが目的かを自分に問うこと。
  • 自分たちだけが他と違うときは、たいてい自分たちが間違っていると思え。

【分析結果からの洞察・問題発見へ】
取り組みに対するマインドセットが強制発想のアイデアソンとごっちゃになってしまい、制約や前提条件を無視して進めてしまった。
 
共 感が出来ないペルソナゆえに想像を膨らます必要があり、それを満たすための「おしゃべり」が主な活動になり、ほとんど手を動かない「肯定と発散のブレスト の状態」に突入し、「洞察」ではなく「創作」に熱中してしまったことで、遊んでいるという印象を持たれてしまったことは、まったくもって講評のとおりで す。

【リフレクション】
  • ワークショップの大前提として、課題は「言われたとおりに」やること。
  • しゃべりすぎずに手を動かして、常にPostitで視覚化して議論すること。
  • 想像しやすいペルソナより、共感できないペルソナこそ、主観のみで形成されていると思え。
  • 特殊な利用状況、ブランドプレファスや、あまりにもパーソナルなゴールの絶対数の少ないペルソナでは「売れない」。
中 盤の先生からの厳しい指摘で、ペルソナ設定の誤りに加えて、そもそも前回「発見した問題」が「問題ではないのではないか?」とメンバー全員が気づいて自信 がなくなり、さらに中途半端な軌道修正を行ったことで思考の拠り所がなくなり、最後まで誤った方向へ進むことを止める人がいない「状況に埋め込まれた学 習」になってしまった。
 
【リフレクション】
  • ペルソナやシナリオに自分自身が共感できなければ、改善の取り組みに対しても当事者意識が薄れてしまう。
  • 状況をコントロールすべきはわずかながらでもUXについて学んできた自分だったと猛省。なにより同じ班の学生さんに申し訳なく思う。

【9コマシナリオの作成】
説得すべき相手に提示するの非常に役立つ手法だと思えるのにまったく活かせなかったことは、貴重な学びの機会を逃したと思えるので非常に悔やまれる。
 
【リフレクション】
  • 「問いを問い直す」姿勢を持ちながら物事を判断する。
  • 作り手の主観を入れ込まないで、あるある感を共感できるペルソナとコンテクストを作成する。
 
【プレゼンテーション】
結果的には自分たちが共感できない問題、自分たちが共感できないペルソナ、自分たちが共感できないシナリオのまとめになり、求められていた成果をまったく提示できていなかったのも発表結果のとおりです。
 
特に、「普段の仕事はどんなやり方で取り組んでいるのか?」という問いについてはまさに痛いところを突かれた。
 
販 社(または営業)からの「前のモデルより(コンペチターより)機能を増やせ」という要求に応えるためや、BtoBのロイヤルティの価格を毎年維持するため に増やし続けた「誰が使うのかわからない」機能を、とにかく急かされて「誰が使うのかよくわからないまま」世に送り出してきたてきたことが、この散々な発 表結果となって表れたのだろう。
 
前回の観察で問題があると設定した「食べる順番にこだわって最 後に好きなフルーツを残して食べた」人と「何もこだわらず思いつくままに食べた」人の感情曲線の乖離というのは、数少ないデータサンプルの中での「人間 の"一時的な"嗜好」の差異であって、長期利用品質として改善すべき問題ではなかったのかもしれない。結果的にコンテクストもインサイトもも成立せず、問 題改善の根拠にならなかったことから、そもそも問題の分析が甘かったとも考えられる。
 
その上で、「食べる順番にこだわって"満足した"ユーザーの体験を常態化させること」は、問題を改善することにはならないと省察できる。
 
…だが、それが前回の観察結果からの改善すべき問題として適切であったならば、目的なくゼリーを食べながらゆるゆると感情曲線が下がっていく「そもそもゼリーを食べることに価値を見出していない」ペルソナへの魅力的な体験価値の提供こそが問題解決だったのだろうか?
 
ペルソナとゼリーの最初の接点はコンビニでの購入ではなくても、何らかの理由で一度食べるという利用シーン(「会社で差し入れのゼリーを持って帰らされて、捨てるのももったいないので食後のデザートになんとなく食べた」とか)を設定して、そこで次回コンビニで見つけたときに購入したいと思える体験価値を提供できれば長期利用品質のゴールになりえたのか?
 
普段からあまり甘いものを食べないというペルソナなら、共感できつつも適切なエクストリームユーザーといえるのかも?
 
しかし、観察から発見されるサービス上の心理的・身体的な不快・不便の事象ではなく、感情曲線から読み取れるユーザーの嗜好に起因する事象は、問題として設定して説得力があるものなのか?「最後に一番食べたいものを残しておいたので嬉しい」という事象と紐付いて向上した感情曲線が、逆に問題の証明になるのか?
 
その問題はパッケージデザインで解決可能か?
  • そのペルソナが次にコンビニで見かけたそのゼリーを購入したいと思う動機付けや、継続して食べ続けるための体験価値の提供
  • どうありたいか、どう思われたいかというペルソナの思いに対しての共感しやすい体験価値の提供
  • 「このゼリーを買うと、あなたに良いことがあるよ」というメッセージが伝わるパッケージデザイン
  • 『ザク豆腐』のような、IPを活かした話題性のあるパッケージの形状としての価値
  • ペルソナにとってゼリーを食べることより魅力・価値のあるパッケージ
ゴールとしては、今後も継続してゼリーを食べたい(またはパッケージが欲しい)思うペルソナを増やせたことでコンビニでの売り上げにつながったことが長期利用品質のゴールになるのか?
 
プロトタイプはさておいてもう一度考えてみたものの、やっぱり行動観察がまったく活かされていないような…マインドセットがサービスの改善ではなく、商品企画や販売促進になっているのだろうか…それらも考え方やアプローチは基本的には同じなのか?…もう少し考え続けます。
 
他のグループの発表を見て思ったのは、やはりコンテクスト(利用シーン)の説得力が共感の度合いを左右する。
「な ぜゼリーを食べるにいたったか」というコンテクストが、行動観察から得た問題を「問題として正当化」させるためのコンテクストになりがちと感じたが、どの 程度まで許容されるのか加減がまだよく分からない。プロトペルソナということもあるが、最終的にクライアントを納得させる問題解決ができれば、あまり問題 にはならないのだろうか。
 
【リフレクション】
  • フレームワークの手順に沿って作業を進める場合は、一つ前の成果に誤りがないか常に問い直す。
  • 人間は日々成長し、価値観も変わっていく中での継続利用価値・長期利用品質を見出すためには「人間とはいかなるものか」という問いを持って日々観察する姿勢を持たなければならない。
  • 最終的には「儲かるのか」という合理性を常に考える。共感できる人が少なければ結局は「売れない」。
  • やるべきことが「できていない」のではなく、やりかたが「甘い」。甘さをなくすためには、やはり問いの質を上げるしかない。UXにおいては、すべては「問うこと」から始まるのだから。
  • そもそも「やるべきこと」をやり遂げる力のないまま「やりたいこと」をやったら間違いなく失敗する。「やりたいこと」ができるようになるために、普段の仕事や生活においてもUXや人との共感について考え続ける。

UX Kobeでも浅野先生の前で大失敗のプレゼンテーションを行い、鋭い指摘をいただいたことが「学びとは?」という問いを持つきっかけになった。…ただ、仕事でもここまでの失敗はなかなかないので、再び自分のレジリエンスが試されている…。
 
学生さんたちが今まで以上に積極的に観察していてくれたので、我々のグループの活動がどの様な流れで失敗したのかレポートを楽しみにしています。
 
自分にはセンスがないことを自覚しつつ、新たに得た「人間とはいかなるものか?」という問いを、これからは問い続けます。
 
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<10/17追記>
学生さんの観察や先生のコメントから見えたこと
 
<自分の「学びの態度」が未熟で幼稚すぎる>

●マッチングしない自分の知識を拠り所にして、自分の考えを正当化しようとしている。
 
●考えを否定されたり怒られるのが嫌で、分からないことを先生に聞くのを恐れている。

●分からなくなったら「立ち戻って考る」ではなく、日程を優先する仕事と同じように、「帳尻をあわせてとにかく終わらせる」という思考に切り替えている。
 
<課題に対してグループで取り組むことの良さがまったく生かせていない>

●ペルソナ作成時の密なコミュニケーションのポジティブな団結が、成果物を全否定された反動でどこまでもネガティブに切り替わり、最後まで前向きになれなかった。

●思考停止した自分のネガティブな発言も周囲に影響を与えていた。本当に申し訳なく、恥ずかしく思う。

●私は「自分が中心になって人を集める」ことができない。UXはひとりでは取り組めないので今後の大きな課題だ。

●『World War Z』を観た。ユダヤの10人目は「どんなに荒唐無稽でも"独自の仮説"で9人に反論しなければならない」つまり、常に問いを持って逆説を立てておかなければ10人目にはなれない。
 
<自分の振り返りの中でもいまだに「埋め込まれた学習」から抜け出せていない>

● ペルソナが「ゼリーを食べるに至る」には「ゼリーのもたらすサービス」が不可欠であって、そのサービス(の改善の機会)を「(だれもが共感できるように) 必要とする」ペルソナが今回のプロトペルソナとして成立する。「自衛隊が使うバンドエイド」の距離感がやっと分かった。

●「ゼリーのもたらすサービス」は観察時に使用したフルーツゼリーに限らない。コトを見ているつもりが、フルーツ、パッケージ、コンビニと、カタチを想像しやす いワードがバイアスになって視野が狭くなっている。結果、ゼリーのもたらすバリューによるサービスの本質まで踏み込んで考えられなかったので、アイデアが 広がらない。

●グループHの講評での「ゼリーで薬を包むと飲み込みやすい」という先生のアイデアを聞いて思うに、利用シーンも「デザートとしてのゼリー」という狭い視野でしか考えられていない。
 
●ゴールは問題を改善するためのパッケージを作ることではなく、発見した問題とペルソナを使って「持続可能なサービスを作る」こと。一時的なモノの改善ばかり考えるから長期利用品質が成立しない。
 
学生さんに「見られていること」から改めて振り返れることが多いので、本当にありがたいです。
同時に、学生の皆さんの加速度的に成長されておられる様子にうらやましさや怖さを感じます。
 
今回のワークショップの解とリフレクションはもう一度時間をかけて考えます。
今は外化することが目的になっていてリフレクションがまったく実践できていないので。
 
宮島敬右

【UX SHIGA 第2回】 ─オブザベーションとプロトタイピング

【質的調査とは】
行動観察については、「潜在的なニーズ」を見つけるためのトレーニングとして、社内のワークショップで取り組んだことがあるが、目的があやふや(コンセプトを作る?新製品を作る?)のまま進めたことから観察結果の事象をどう分類・分析すればよいか分からず、結局止めてしまった苦い思い出がある。社外のワークショップを「習えば分かる」と勘違いした結果、社内で再現して失敗する典型的な例だったと思う。
 
【観察の心構え】
「モノを見ない、ヒトを見る」という新しい知見。
「デザイナーの思考」ではモノや環境を先に見て、物理的な改善策を急いでしまう。デザインの学習時間が多い分、その経験に自然に頼ってしまうのか。
 
「問う」姿勢は持ちつつ、自分の中のバイアスを一切廃するモードに入ること。
振り返ってみれば、モノに対して「問う」ことより、ヒトの行動や発言に対して「問う」ことのほうが簡単だと思える。「問い」の姿勢が正しければ、自然ににモノを見ずにヒトを見るようになるのだろう。
 
[リフレクション]
  • 観察においては「職業:デザイナー」であることを忘れて取り組む。
  • 観察中は改善策を考えない。 
  • ヒトの行動・発言のみに「問い」を立てる姿勢を持つ。

【ワークショップ】
モニター役の「この具は何ですかね?」の発話に対してわざわざラベルを見て正解を教えるというモデレーターとしての大失敗。正しいモデレーションはおそらく「普段はどのようにして調べますか?」だろう。なんらかの自然な行為が引き出せたかもしれない。ラポール形成や質問などのお約束なしでモデレーターのモードに入るのが難しい。
 
モデレーター、被験者、撮影者と担当したのであまり観察に参加できず…「モデレーターは最高の観察席」という奥泉先生のアドバイスが活かされず、大いに反省。質問ができないため発話もあまり引き出せずで、前半はまったくの役立たずだった。自分の中で目的がきちんと設定できていなかったことが原因。こないだのインタビューのワークショップと同じ過ちをおかす。課題に対して目的の設定が当たり前のようにできるようになることが、きちんと「学んだ」という証明になるのだろう。
 
[リフレクション]
  • 目的を明確にして、人格を変えるつもりで自分の役割を実行する。
  • 自分の中のスイッチを意識する。体験したことがある役割なら特に意識して。
 
作業ステップの進め方について序盤は方針が固まらず、右往左往するも他のグループを偵察し、観察から得たすべてのデータを活かすため、KJ法的にグルーピングして抽出を行う方針で進める。他のチームの作業を見て、「なぜ?」を現場で見つける学習こそ、大勢参加するワークショップの意味があることを前回のマシュマロチャレンジの体験から学んだ…というか先生に指摘されて思い出した。
 
[リフレクション]
  • 時間を決めて、「問い」を立てる姿勢で定期的に他のチームの観察を行う。
  • ワークショップ中でも外部の情報を積極的に取り込むことを意識する。
 
なんとなく流れが見えてくると、自然に作業ステップと事象の分類が進む。全員自信が無いなりに、コミュニケーションを取りつつ民主的に進めた反面、意志決定が遅くなり時間に追われた。ワークショップは時間内に終わらせることが大事なので、ひとまず今回はこれでよかったと思える。
 
[リフレクション]
  • 目的を明確にして、時間内に「検討→評価→修正」を何度も繰り返す方が、問題定義の精度が高くなるはず。
  • 今後もワークショップは、失敗してもいいので時間内に必ず課題をやりきる。
 
明確な目的が設定できていない自分が、思いつきでイニシアチブを握っていたら手戻りで間に合わなかったかもしれない。実際取り組んでいる最中は時間内の「カードソート」の完了が漠然とした目的になっており、最終的に課題の目的である「問題点を抽出すること」に焦点が合っていなかった。
 
[リフレクション]
  • 自分の思考や活動にも常に「問い」を立てながら、焦点が正しいかを意識的して課題に取り組む。
  • 時間のある限り、「問を問い直す」という金言を守ろう。
 
デザイナーの思考だと、問題点をどうしてもモノ中心で見てしまうが、モノを通して見える不便や失敗はあくまで「症状」。
ゼリーという商品がヒトに提供するサービスのために、「パッケージ」と「スプーン」というモノが存在する。サービス改善のために見るべきはヒト。話すのも動くのもヒト。ヒトの感情や動作に問題は起因する。サービスとユーザーの"タッチポイント"を、ヒトの側から見つけて、「苦い体験はどこか」を明らかにしなければならない。UXの基礎である人間中心設計についての視座も怪しいことに反省。
 
[リフレクション]
  • 理想的なモノの完成型のビジュアルイメージから考えるデザイナーとしての思考は排除する。
  • ヒトの行動・発言が、内面の「情動」と外面の「負担・不便」にどう影響しているのかを「問い」を立てて観察する。
 
発表については、多くの班がフォーカスしていた「使用中」から「使用後」にかけての感情曲線の低下の解釈に、それぞれ違いがあり興味深かった。自身のチームは他のチームとは異なる視点による問題点の発見と、簡潔で伝わりやすいプレゼンテーションができたと思うが、「最後に楽しみをとっておいた"喜"」、「最後の楽しみがなくなっていた"哀"」という感情曲線の乖離については、問題の本質もっと掘り下げられたかもしれない。最終的にはモノを改善するのではなく、サービスについて改善または新しい価値を提供することを目的に、まずはエクストリームなペルソナと利用シーンを考えて、大きくリフレーミングしてみよう。
 
[リフレクション]
  • 問題を明確に定義できていれば、改善も軸がブレずにアイデアが広がるはず。やはり、「問いの質が、答えの質」である。
  • 観察の現場が利用シーンやコンテキストのすべてではないことを想定する。
 
「観察を先に行って問題点を明らかにしてから、ペルソナやシナリオを考える」という今回のワークショップのプロセスは、半ば強制的に視座を変えることやリフレーミングが求められるので、ユーザーや利用シーンが多様化している現在、新たな市場の開拓において非常に有効ではないか、という懇親会での大草先生のアドバイスは非常に納得できた。
 
[リフレクション]
  • 目的をことあるごとに書き出して、常に見えるところに置いておく。
  • いっそモノの名前を絶対に口に出さずに、ヒトとサービスの側から問題点を考えるというのはどうか。「スプーンが…」と発話した時点でスプーン中心でしか想像しなくなっているので。

今回痛感したのは、まだまだ自分の中に、反射的に呼び起こせる「UXのための思考」のスイッチそのものが確固として存在していない、それどころか、これまでの知識や体験で得た漠然とした「UXっぽい思考」にも切り替えができていないこと。加えて、「デザイナーとしての思考」が切り替えのバイアスになっていることも実感できた。
 
デザインの課題では反射的に呼び起こせる、課題を解決するための目的設定や危機管理の思考が、UXの課題で同じようにできないのは、まだまだ知識が経験に結びついていないから。
 
よって、未知のUXの課題に取り組むときには完全に思考が停止してしまっている。(ただ、UXという「言葉の概略を知っている」ので、他者のUXに対する「誤った認識」に猛然と批判的になってしまう。これは非常にタチが悪い…)
 
10000時間の学習時間と態度(多様な学びと失敗の繰り返し)の継続で発達することによって、「UXのための思考」のスイッチが入るスピードが上がり、いずれは入りっぱなしになることで、常に「統一的にしっくりいく」状態になるのだろう。
 
[リフレクション]
  • 自分の中のまだ存在しないスイッチを押そうとしても思考停止してしまうだけなので、次回からは「新しい自分を見つけるトレーニング」だと思って課題に取り組む。
  • 反省だけならサルでも出来るので、振り返りには必ず「リフレクション」を行うことを心がける。
 
先生のおっしゃった通り、自分は、まだまだです。
 
では、次回もよろしくお願いします。
 
宮島 敬右